教育理念・沿革
普連土学園の教育
普連土学園の教育
普連土学園は1887年(明治20年)、フィラデルフィアのキリスト教フレンド派の婦人伝道会によって派遣されたジョーゼフ・コサンド、サラ・コサンド夫妻によってその基(もとい)が据えられました。これは当時アメリカに留学中だった新渡戸稲造(日本を代表する国際人・国際連盟事務次長・日本人初のクエーカー)と内村鑑三(近代日本を代表するキリスト教思想家・無教会主義の創始者)の慫慂(しょうよう)によるもので、140年近くにわたりキリスト教による人間形成を教育基盤としてきました。
校名の「普連土」という漢字は、学農社の創設者であり青山学院創設者の一人でもある農学者 津田仙(津田塾大学の創設者 津田梅子の父)により「普(あまね)く世界の土地に連なるように」という祈りをこめて考案されたものです。
新渡戸 稲造
(1862-1933)
内村 鑑三
(1861-1930)
津田 仙
(1837-1908)
コサンド夫妻
フレンド派は17世紀半ば、イングランドのジョージ・フォックスにより、湖水地方で誕生しました。ピューリタンの流れの中でも、とくに会衆主義といわれる自由と平等を重んじる気風を最も徹底して追求した教派で、クエーカーという別称もあります。
ペンシルベニア植民地を建設したウィリアム・ペンは、フレンド派の信仰をアメリカ合衆国に定着させ、フィラデルフィアを中心にフレンド派繁栄の原動力になりました。その徹底した宗教的寛容の精神は、アメリカ合衆国の土台である民主主義や、合衆国憲法の制定にはかりしれない影響を与えています。
クエーカーは歴史的平和教会とも呼ばれるように、フレンド派の人々は歴史的にさまざまな平和運動や奉仕活動に従事してきました。1947年にはその活動の功績が認められ、アメリカ・フレンズ奉仕団とイギリス・フレンズ協議会がノーベル平和賞を受賞しています。
特にララ物資で有名な、敗戦後の荒廃した日本への救援活動の中心人物であったエスター・B・ローズは、生涯の大半を普連土学園の教育にささげました。戦時中は米国で収容所に入れられた日系人の援助を惜しまなかった等、日本人にとっても言葉では言い尽くせないほどの恩人です。
ジョージ・フォックス
(1624-1691)
ウィリアム・ペン
(1644-1718)
エスター・B・ローズ
(1896-1979)
私たちの学園は、ジョージ・フォックスの言葉“Let Your Lives Speak”をモットーに、あらゆる権威・伝統からの「自由」、神の前での「平等」、粘り強い「対話」、絶対的「平和主義」という普遍的な価値観を共有する共同体です。
神は私たち人間をかけがえのない存在として愛し、一人ひとりのこころに直接語りかけると信じ、フレンド派の人たちはそれを「内なる光」“Inward Light”と呼びました。
私たちの一日は、毎朝の20分の礼拝をもってはじまりますが、これが学園のあらゆる営みの核になっています。とくに「沈黙の礼拝」は、神からの「内なる語りかけ」(自己の思い込みを捨て去り、他者からの語りかけ)に耳を澄ます大切な時間です。
普連土学園は、自ら考え、自ら道を切り拓き、自らの責任で行動し、深く学ぶ場です。そのような日々の営みによって、生徒一人ひとりが、あらゆる隔ての壁を超え、世界中の人々と連帯出来る国際的な感覚と異質なものに対する寛容な態度を養い、時代の価値観を常に相対化しつつ、よりよい社会の構築に貢献するために、培った力を他者のために惜しみなく使う、誠実で成熟した人間に成長してほしいと願っています。
世界にはキリスト教フレンド派の学校(Friends School)が小学校・中学校・高等学校、大学まで含めると200校ほどになりますが、その中で日本では普連土学園がフレンド派唯一の学校となっています。私たちの学園は生徒一人ひとりの学園生活における安全を配慮し、充実した教育環境の提供と、対話による教育を通して社会で活躍する女性の育成に最善を尽くしています。
学園(宗教部)直属のサークル活動として、以下の二つがあります。これらの活動はクラブ活動ではなく、学園の教育活動の根底にかかわるキリスト教教育の一環として位置づけられています。したがって、活動期限は高校卒業時までとなります。